『はじまり』




沢村。
こいつはあまりに無防備で、正直調子が狂う。
たまに誘っているのかと疑うほどに。

無邪気なこいつにはもちろん自覚などないのだろう。





今日のピッチャーミーティングのことが伝わっていなかったのか、沢村がなかなか姿を見せない。

御幸と降谷はバッテリーとして、二人で話しておかなければならないこともあるだろう。

呼びに行く役目を俺がかってでた。


「沢村?」

ドアを開けた先にはズボンをいままさに脱ぎかけている沢村の姿。
「うわぁっ、クリス先輩」
「ミーティングなんだが」
「すいませんっ! ちょっとズボン汚しちゃって…履き替えたらすぐ行きますんで」
ああ。
ミーティングのことは覚えてくれていたか。


俺が来たせいか急ぐように替えのズボンを用意する。
つい、露わになっている足へ視線を向けてしまうと、気付いたのか、顔をあげる沢村と目が合ってしまう。

「すいません、急ぎます」
「いや…」

もちろん、急いでくれるに越したことはない。
ただ、いまの自分は沢村を邪な目で見てしまっていたから。
まさかそんな目で見られているとは、思ってもいないだろう。
疑いもせず急ぐ沢村に対し、罪悪感が生まれ顔を逸らした。


「クリス先輩? ……怒ってますか?」
ズボンも履かぬまま、俺を気にしてか不安そうな顔で覗きこまれる。

なんてことない行動だ。
それなのに、誘われているように感じてしまう。
そんな錯覚すら起こす自分は重症だと思った。

「自覚しろ…」
「っすいません…っ」
理由もわからず謝る沢村と。
邪な考えを沢村のせいにした自分。

「俺…っ」
怒らせたとでも思ったのか、心配そうにまた俺を見る。

抑え切れない衝動が走り、つい、その体を抱き締めていた。

無防備で、無邪気で、無垢なこいつを、汚すつもりなどなかったのに。
染まればいいとも思ってしまう。

いや、それ以前に。
なにかと慕ってくれたお前のことをこんな風に見てしまっていた、そんな俺を知って、どう思う?

汚らわしいとか、少なからず嫌悪感を抱くだろう。

衝動的な自分の行動を後悔し、そっと沢村の体を解放しようとした。
だが、俺の背中に感じた腕の感触。
沢村のだろう。
俺と同じ…いや、それ以上の力で俺を抱きしめてくれている。

「……クリス…先輩…」
唐突な俺の行動を受け入れてくれているのか。

まさか。
顔をあげる沢村と目が合ってしまう。
もちろん逸らしていいはずもない。
こんな近距離でお互いを見るのは初めてだろう。

これ以上は……そう思うのに。
沢村の目がまるでなにかを求めているようで。
また、俺の錯覚なのだろう。
どれだけ俺は自分の中で沢村を汚せば気が済むのか。

「沢村…。そうしがみつくな」
「なんで、クリス先輩は俺のこと抱きしめたんですか」
「…理由か…」
理由など、言えるものか。
むしろ無いに等しい。
ただ、抱きしめたいと思ったから…それだけだ。

「悪い。気にするな」
「俺、嬉しいんですけど。嬉しいって思っちゃだめなんですか?」
「なんで、沢村は嬉しいんだ。急に抱きつかれたりして…」
沢村の、俺を抱きしめる手に力が入ったように感じた。
「……だって…好きですから」
さすがに顔を俯かせてそう告げられる。

好き。
それは先輩として好意を抱いているというレベルのものではないのか。
俺が沢村に対して思う気持ちと、同じなのだろうか。

「沢村…。どういう意味だ」
「どういう意味って…っ。え、好きの意味…ですか?」
顔をあげ、オロオロと言葉を捜す沢村は、やはり俺からみたら純真で、つい苦笑してしまう。
「わからないならいい」
突拍子もないことを聞いてしまったなと、沢村の腕を外しにかかるが、それに反発するように強くしがみつかれ、あろうことか沢村は俺の口へ、自分の唇を押し付けた。

それを理解したころ、すでに口は離れ、焦る沢村の顔が視界に入る。

「あぁあ…あの…すいません。なんか…っ」
なんで謝る……そう聞こうとして、さっき自分が謝った意味を思い出した。

好意を恋愛と捕えた罪悪感。
衝動でしてしまった行動に対する不安。

そう自分に重ね合わせたとき、妙に感情が昂った。

謝る必要などない。
言葉の代わりに、今度は俺の方から口付けた。

いまさら、抑えろと言われても無理な話で。
沢村の体をもう一度抱き直す。
あいかわらず沢村は俺の体を抱きしめてくれていた。

口が離れると、少しボーっとした様子で沢村は俺を見る。
「…沢村…。お前が言う好きの意味は、これでよかったか」
「……はい」
そっと頷く沢村を、愛おしいと思った。



いつも、一方的に感じていた想い。
きっと、表には出さない方がいいのだろうと考えていた。
失ってしまいそうで、踏み出せずにいたのかもしれない。


今ここから、この関係を。
新しくはじめていきたいと願い、もう一度、お互いの気持ちを確かめ合うよう、そっと口を重ねた。