『空気』




例えば、いままで普通に過ごすことの出来た二人きりの空間が息苦しくなる瞬間。

喧嘩をしたとき。
合わないなと感じたとき。
恋愛感情で意識し出したとき。


様々だが、俺は確実に三番目で。
いつも頭の中で葛藤していた。

「金丸。今日も沢村を見てくれたんだってな。感謝する」

部屋に戻るとクリス先輩が椅子から立ち上がりわざわざ出迎えてくれた。

沢村に勉強を教えてやって欲しいと。
クリス先輩に頼まれたのがきっかけだ。
しかしいまとなっては、なるべくクリス先輩と二人きりの時間を避けたいがため。

それがまた心苦しくて、後ろめたくて。

感謝してくれるというクリス先輩の言葉を素直に受け止めることが出来ない。


クリス先輩が沢村のためにしてあげたいと思うことに俺が手をかしている。

そう思うとまたいたたまれず、沢村にはクリス先輩の頼みだということを伏せている自分はひどく小さい男だと思った。



「どうした?」
俺のわずかな変化に気付いて、そう聞いてくれる。
「いえ…っ。なんでもないです、すいませんっ」
「いや、謝る必要はないが…」
少し不思議そうにされ、なんだか恥ずかしくなった。
顔をうつむかせ、クリス先輩の視線から逃れる。

無意識のその行動が失礼だと気付き、それでも慌てて顔を上げることも出来ず。
また妙な空気を感じていた。


すると頭に置かれる手の感触。
思いがけない行動で、反射的に顔をあげた。
目が合うと、今度は逆にそらせなくなった。

「無理はするな。
お前が沢村の勉強をみてやるのはいいことだが、金丸が疲れるのなら無理には頼まない。
俺のせいで負担を増やしてしまったな。悪い」

「違っ……」

この人に嘘をつくのはなんて心苦しいのだろう。


「金丸、もっと自分の好きなようにしていいんだぞ」
「俺……」
クリス先輩のことが好きですだなんて言えるわけがない。
俺だけでなく、この人まで苦しめてしまう。

「…そんなに優しくされたら困りますよ」
作り笑いで、少し冗談っぽく。

それがいまの俺に出来る精一杯の対応だった。

そのまま自然と体をどかしたかったのに、クリス先輩が俺の両肩をがっちりと掴むもんだから、逃げられない。
「…優しくするのは迷惑か」
クリス先輩は俺の言葉を冗談で済ましてくれず苦笑い。
かといって、真面目に受け取めすぎると俺が困るとでも思ったのか、少し笑ってくれて。
そんな対応に、ますます俺の気持ちは昂ぶった。

もちろん、迷惑なわけがない。
本当は、嬉しくてたまらない。
だけれど、申し訳ない気持ちの方が強かった。
俺は、嘘をついているようなものだから。

「はは…なんていうか…そう優しくされると、離れられなくなるじゃないっすか」
頼ってしまうから。
1人じゃなにも出来ない人間になってしまいそうだと。
普通の意味にも取れるようなニュアンスの言い方を選んだ。

「離れる必要なんてないだろう」
「…いや、でも頼りすぎるっつーか…」
どうにか言い逃れをしようと俺は思った。
だが、その言葉を閉ざすよう、クリス先輩の手が頬に触れる。
「言い方を変えよう。…傍にいさせてくれないか」

その言葉に、体が熱くなった。
なんでそんな言い方をするのだろう。
勘違いするだろう?
まるで、告白のようだ。
熱くて、顔が赤くなっているんじゃないか?
クリス先輩に自分の顔を見られたくないのに、頬を撫でた手が、クリス先輩へと引き寄せられる。
顔を上げさせられて、視線だけ逸らすが無意味に近い。

「金丸」
「…っ…はい…。その、傍にとか…それは別に構いませんけど」
「金丸も…。俺から離れないでいてくれるか」

心臓がドクドクと動いているのがよくのがわかった。

どうすればいいのかよくわからない。
普通だったら、どうするんだ?
なに、告白みたいなこと言ってんすかーって冗談っぽく流すのが妥当なのだろうか?

だけれど、この人もこんな風に冗談言う人ではないだろうし。
実際、俺が今、ものすごく意識しているのもすでにバレてしまっていそうで。

「……はい…」
なんとか、それだけ口に出す。

そもそも、なんでこんな言い方を…。
どういう意味で受け取っていいのか。

俺が聞くまでもなく、クリス先輩は答えをくれた。
俺の肩を掴んで、そっと口を重ねてくれる。

つまりもう、勘違いじゃないんだろう。
こんなことクリス先輩と。
頭がボーっとする。

口が離れても、考えが上手くまとまらなかった。

「…嫌だったか…?」
「いえその……大丈夫です」
「そうか」

大丈夫です…そう言ってしまう自分もまた嫌になる。
なぜ、嬉しかったと伝えられないのか。

「疲れているのなら、そろそろ寝た方がいいな」
俺はクリス先輩に、優しくされて。
ものすごく嬉しいのに。

「クリス先輩…。俺、本当は……ずっと気まずかったんです。
俺が、すごく先輩のこと意識しちゃってて…2人きりの空間が…」
いままで隠していたことを告げると、やっぱりそれでもクリス先輩は笑ってくれていた。
「じゃあ、もうその必要はないな」

もう一度、口を重ねてくれる。
まだ、当分気まずいような感覚はなくならないと思うけれど。
少なくとも避けるような真似だけはしなくなるだろう。

これからも、クリス先輩の傍に…。